2008.05.19 Monday
ブラジル入国。
問題は10時半にバスが到着して10時半すぐに発車する乗り換えじゃなかった。
もっと前のポンタプーラ(ブラジル)に4時半到着予定がいろんなトラブルで(検問やらなにやら)5時半につき、目的のターミナルにつくころには1日一本の6時発と聞いていたバスはなぜか5時半で。そしてその5時半初のバスはとっくにでていた・・・。
ややこしかったんだ、これが。
すべてはここから狂ってきた。
でもこの狂いが、ブラジルが私にパンタナ−ルを見せてくれて
また最高の人たちとの出会いにつながっていったんだな。
なぜかボニート行き直通のバス会社のみ11時半に窓口が開く(オソ!!)
夜行の車中、道行く人を次々に拾ってくもんだから夜行なのに立っている人でバスがギュウギュウでろくに眠れなかった。窓口が開くまで待ってる間中私の頭はカクカク前後に揺れる。
ようやく開いた窓口でおばちゃんが笑顔で一言、
「ボニート行きは早朝5時半一本のみよ。」
「・・・。」
わかってたよ。いや、わかってた。
五時間以上待ったものの、うすうすそうではなかろうかと。
ブツブツ独り言いいながら考えて、もう一度おばちゃんのもとへ。
おばちゃん、ニコニコ。
「私お金なくて、宿に泊まるよりバスに乗りたいのよ。時間もないし。なんか他に行く方法ないの?」となんとかジェスチャー交じりで伝える。
「あるわよ。」あっさり。「でも3回乗り換えなくちゃいけないのよ。」
おばちゃんは紙に書いてどこで乗り換えないといけないのか、それが何時になるのか丁寧に説明してくれた。料金はボニート直通とそんなにかわらん。ただ朝の二時だの五時だの、思いっきりヘンな時間に降りたり、待ったり、乗ったりしないといけないといけないらしい。しかもこのターミナル出発時間は夕方の5時。
「・・・・・・おばちゃんそのチケット一枚ちょうだい。」
できるだけ早く次へと焦っていた私は明日の朝にはボニートについてるルートを選ぶことにした。バスのターミナルというのは常時スタッフの人がいるので待合席にいればそんなに危なくもない。バスの乗ってる時間もそんな長くないし・・・。
この考えが甘かった。夜行でろくに眠れず、ターミナルで6時間近く待っていた私は充分なほど疲れてた。でもへんなもんで、ここまでくると頭がぼーっとなって歯止めが利かなくなるときがある。こういうとき一緒に移動してる人がいると(前のミヅカちゃん見たいに)「しんどいよー。」って一言、言ってもらえると『あぁ、わたしも疲れてるやった・・・』ってきづくんやけどね。
夕方の5時まではまだゆうに時間があった。ピーコばりのファッションチェックブラジル編(妄想)にも飽きてきたころ横に座ってたおっちゃんが
「日本人か?どこにいくんだ?」ときいてきた。
「日本人だよ。ボニートに行く。」わかる単語でのみ返す。
「何時のバスだ?」
「五時」
「五時!!?・・・長いな。」
「うん。・・・長いよ。」
もう何度目かわからん眠気に襲われてきたころ横からヌッと半分のパンがでてきた。振り返ったらさっき横に座ってたおっちゃんだった。「ん。」ぐいっとこっちにパンを突き出す。「ありがとう。」私は半分びっくりしながらもパンを受け取った。しばらくみつめて一口かじる。
・・・うめぇぇぇぇぇ。そとはチーズでカリカリ、中はモチッとしたおもちのような歯ごたえ。日本でチョット前に流行った(?)ポンデケージョだった。
「おっちゃん、これめちゃくちゃうまいよ!!」振り返ったらもうおっちゃんはそこにはいなくて、遠い場所でもう半分のパンをかじってた。
私はパンとは違うなんか込みあがってくる熱いモンもパンと一緒にムリヤリぐいっと飲み込んだ。このポンデ、大きさにもよるけど一つ1・5ヘアル(=100円くらい)ブラジルでは庶民の腹ごなしの定番のひとつで、今後ブラジルにいる間中、1日一回は私はコレを食べることになる。
窓口のおばちゃんもずーっと前に座ってる私を気にしてか、前を通るたびに「今日は暑いわねー。」とか「もうすこしよー。」とか声をかけてくれる。
他の国でもあったけど、困って道を聞いたりすると、こっちが言葉を理解してようがしてまいが容赦なくしゃべりたててグイグイひっぱってついてきて道を教えてくれる。
マチュピチュ村では買ったウェストポーチがすぐに壊れて買ったお店に交換してほしかったのに病み上がりでヘロヘロな私はどこも似たりよったりのお店に、どこで買ったのか分からなくなった。困ってそばにいたおばちゃんに「どこで買ったかわからなくなっちゃった」って言ったら、私の手をつないで何件も何件もいろんな店で「コレ売ったの、あんたとこかい!?」って聞いて回ってくれた。
本当にそれがうれしくて、迷子でお母さんと離れた子供みたいに半泣きになりながら、手を引かれながらおばちゃんの後をついて回った。
旅中は『やさしさ』が身に染みる。それだけで他に嫌なことやつらいことがあったとしても、その国を好きでいられる。次に進むことができる。
夕方五時のバスが出るとき、窓口のおばちゃんはわざわざ外まで出てきて、手を降って見送ってくれた。ようやくリクライニングのシートで眠れる・・・私の長い移動の夜が始まった。
もっと前のポンタプーラ(ブラジル)に4時半到着予定がいろんなトラブルで(検問やらなにやら)5時半につき、目的のターミナルにつくころには1日一本の6時発と聞いていたバスはなぜか5時半で。そしてその5時半初のバスはとっくにでていた・・・。
ややこしかったんだ、これが。
すべてはここから狂ってきた。
でもこの狂いが、ブラジルが私にパンタナ−ルを見せてくれて
また最高の人たちとの出会いにつながっていったんだな。
なぜかボニート行き直通のバス会社のみ11時半に窓口が開く(オソ!!)
夜行の車中、道行く人を次々に拾ってくもんだから夜行なのに立っている人でバスがギュウギュウでろくに眠れなかった。窓口が開くまで待ってる間中私の頭はカクカク前後に揺れる。
ようやく開いた窓口でおばちゃんが笑顔で一言、
「ボニート行きは早朝5時半一本のみよ。」
「・・・。」
わかってたよ。いや、わかってた。
五時間以上待ったものの、うすうすそうではなかろうかと。
ブツブツ独り言いいながら考えて、もう一度おばちゃんのもとへ。
おばちゃん、ニコニコ。
「私お金なくて、宿に泊まるよりバスに乗りたいのよ。時間もないし。なんか他に行く方法ないの?」となんとかジェスチャー交じりで伝える。
「あるわよ。」あっさり。「でも3回乗り換えなくちゃいけないのよ。」
おばちゃんは紙に書いてどこで乗り換えないといけないのか、それが何時になるのか丁寧に説明してくれた。料金はボニート直通とそんなにかわらん。ただ朝の二時だの五時だの、思いっきりヘンな時間に降りたり、待ったり、乗ったりしないといけないといけないらしい。しかもこのターミナル出発時間は夕方の5時。
「・・・・・・おばちゃんそのチケット一枚ちょうだい。」
できるだけ早く次へと焦っていた私は明日の朝にはボニートについてるルートを選ぶことにした。バスのターミナルというのは常時スタッフの人がいるので待合席にいればそんなに危なくもない。バスの乗ってる時間もそんな長くないし・・・。
この考えが甘かった。夜行でろくに眠れず、ターミナルで6時間近く待っていた私は充分なほど疲れてた。でもへんなもんで、ここまでくると頭がぼーっとなって歯止めが利かなくなるときがある。こういうとき一緒に移動してる人がいると(前のミヅカちゃん見たいに)「しんどいよー。」って一言、言ってもらえると『あぁ、わたしも疲れてるやった・・・』ってきづくんやけどね。
夕方の5時まではまだゆうに時間があった。ピーコばりのファッションチェックブラジル編(妄想)にも飽きてきたころ横に座ってたおっちゃんが
「日本人か?どこにいくんだ?」ときいてきた。
「日本人だよ。ボニートに行く。」わかる単語でのみ返す。
「何時のバスだ?」
「五時」
「五時!!?・・・長いな。」
「うん。・・・長いよ。」
もう何度目かわからん眠気に襲われてきたころ横からヌッと半分のパンがでてきた。振り返ったらさっき横に座ってたおっちゃんだった。「ん。」ぐいっとこっちにパンを突き出す。「ありがとう。」私は半分びっくりしながらもパンを受け取った。しばらくみつめて一口かじる。
・・・うめぇぇぇぇぇ。そとはチーズでカリカリ、中はモチッとしたおもちのような歯ごたえ。日本でチョット前に流行った(?)ポンデケージョだった。
「おっちゃん、これめちゃくちゃうまいよ!!」振り返ったらもうおっちゃんはそこにはいなくて、遠い場所でもう半分のパンをかじってた。
私はパンとは違うなんか込みあがってくる熱いモンもパンと一緒にムリヤリぐいっと飲み込んだ。このポンデ、大きさにもよるけど一つ1・5ヘアル(=100円くらい)ブラジルでは庶民の腹ごなしの定番のひとつで、今後ブラジルにいる間中、1日一回は私はコレを食べることになる。
窓口のおばちゃんもずーっと前に座ってる私を気にしてか、前を通るたびに「今日は暑いわねー。」とか「もうすこしよー。」とか声をかけてくれる。
他の国でもあったけど、困って道を聞いたりすると、こっちが言葉を理解してようがしてまいが容赦なくしゃべりたててグイグイひっぱってついてきて道を教えてくれる。
マチュピチュ村では買ったウェストポーチがすぐに壊れて買ったお店に交換してほしかったのに病み上がりでヘロヘロな私はどこも似たりよったりのお店に、どこで買ったのか分からなくなった。困ってそばにいたおばちゃんに「どこで買ったかわからなくなっちゃった」って言ったら、私の手をつないで何件も何件もいろんな店で「コレ売ったの、あんたとこかい!?」って聞いて回ってくれた。
本当にそれがうれしくて、迷子でお母さんと離れた子供みたいに半泣きになりながら、手を引かれながらおばちゃんの後をついて回った。
旅中は『やさしさ』が身に染みる。それだけで他に嫌なことやつらいことがあったとしても、その国を好きでいられる。次に進むことができる。
夕方五時のバスが出るとき、窓口のおばちゃんはわざわざ外まで出てきて、手を降って見送ってくれた。ようやくリクライニングのシートで眠れる・・・私の長い移動の夜が始まった。