ツーリストオフィスで働いていたフラワー・モン族の“コイ”。21歳。女の子。
次に行こうとしてたバクハという村の出身で次の休みには帰るっていうから、一緒に村まで連れて行ってもらうことになった。バス乗ってる間に話してるうちに、コイの家でしばらくお世話になることに。
コイから家においで!!って誘ってくれたものの、
「私の家は畑と、豚の小屋と、馬の小屋と、牛の小屋と、鶏の小屋と、ウサギの小屋しかないけれど。それでもいい??」「一度見て、いやなら街の宿に泊まってもいいからね?」と、不安そう。
ある程度、修羅場(?)をくぐってきた私は自信たっぷりに
「大丈夫。」と答える。笑。
コイの村はバクハの町から5km手前の山手を少し登ったところにあった。
インドでおとんと旅したときに、5分くらい山を下ったところにようやく宿があったことを思い出したけど、今度は逆。家まで10分の登り。
お父さんと、お母さんと、お兄さんと弟の五人暮らし。後のお姉さん二人は離れたところの学校の寮で暮らしてるらしい。
コイの家は、確かに畑と豚の小屋と、馬の小屋と、牛の小屋と、鶏の小屋と、ウサギの小屋しかなかったけど、静かで、やさしくて、すごく居心地のいい家やった。
ご飯の時間が近づくと、家の裏にある畑や山に行って食べたい食材を食べたい量だけとってくる。枝豆、芋のつる、かぼちゃの茎と葉と花、キャベツ、ミントの葉・・・
どの部分がおいしくて、どうやって調理をするのか、コイが教えてくれた。
左がコイ。実をはさんで顔にくっつけるだけの、くだらん遊び。(爆)
こんなくだらん遊び、今の日本の子供は知らんにゃろうなー。
戦時中に芋のつるとか食べてたことがあったって聞いたことはあったけど、かぼちゃの花や茎や葉っぱが食べられるとは知らなんだ。『お金がなくなっても生きていけそう・・・。』ってシミジミ思った。
夜はコイのお兄ちゃんが、庭で走り回ってる鶏を目の前で一羽しめて、料理してくれた。
湯がいて、紫蘇の葉をきざんで塩ともみこんだだけのシンプルなもの。紫蘇の香りが日本の味を急に恋しくさせる。
「紫蘇といえば。。。」持ってた紫蘇のゆかりとふりかけを出してきてみんなに勧める。くんくんにおいをかいだり、ぺロッとなめてみたり。弟は気に入ったみたいでご飯にたくさんかけ始めた。笑
コイ以外は英語が話せないから、他の人とは完全ジェスチャー。
コイのお母さん。
フラワー・モン族のマーケットへ行ったり、豚のえさになる、とうもろこしの実を何百本も手でほぐしたり
それをうすでひいたり。毎日お手伝いがおもしろい。
マーケットに行く前のオシャレチェック。
売られていく子ブタちゃん。
私がもち米が好きだと知ったら早速お母さんが前の日から一晩水に漬け込んで炊いてくれた。
植物で色をつけた紅白ごはん!!おいしかった!!
お世話になったお礼に。。。と少しのお金を渡そうとしたけど
頑としてお母さんは受け取ってくれなかった。
だからマーケットで大根とブタ肉をを買い込んで、しょうがとかつおだしと醤油で
くつくつ二時間ほど煮込んだ料理をお礼に作ったら
「ちょっとしょっぱいけど、すごくおいしい!!」とみんな喜んでくれた。
よかった!!
村を出る私に、もう一度蒸しなおしたもち米をうらに生えてたバナナの葉で包んで
持たせてくれたお母さん。
話した言葉は少なかったけど愛情はたっぷり感じたわ。
ありがとう。
お世話になりました!!