最終日。完成式はみんなで大号泣。
がんばったぶんだけ、胸が熱くなった。
すぐにブログにしようと思ったけど、思ったことが多すぎて
なかなか言葉にする気にならなくて。
とりあえず。
1×1は5らしい。笑
一生の友と呼べる素敵すぎたメンバーに、
天使のような子供たちの笑顔に、
家族のような温かい村の人達に、
そしてチャンスをくれたカデさんぐりこさんに。
感謝の気持ちを込めて、ありきたりだけど
“出会ってくれてオックンチュラン(ありがとー)!!”
懇親込めてつくった遊具。
リクエストにより、レインボー。(と、後ろはトイレ)
世界は一つ、世界地図。
かわいい花壇。
みんなの手形。
かんなちゃんの作品。
ラスト集合写真。
P・S また写真UPしまーす。
少数民族の人達に会うこと。
貧しくとも、時代の新しい波に乗り込まれようとも、自分たちのスタイルに誇りを持って、それを保ち続けている人達。。。
かっちょいーーー!!!
雲南省、元陽に引き続きベトナム北部にもいろんなグループが。
写真で元陽から紹介。
ベトナム北部↓ ↓ ↓
ハニ族のオシャレのポイントは植物で染めた黒い歯。
色もシックだったりカラフルだったり様々で、オシャレのポイントも
グループによってまったく異なる。
同じような衣装を着てる、同じグループでも世代によって
オシャレポイントが違うのがおもしろい。
若い子には、チラリとレースがついてたりね。
とても貧しいとは思うけど、このあたりの町で都市部にいるような物乞いは見当たらなかった。
アヘンやりすぎて、アヘン買えなくて死んじゃった・・・なんて話もきいたけど。
大多数の人達は今『ある』もので、生活が事足りている。
もちろんケータイなんかが必需品になってきてるような部分もあるんやけどね。
言語についても面白いと思うことがあった。
たとえばモン族は中国の南部にも、ベトナムの北部にも
ラオス、タイの北部にも生息してるんやけどルーツが同じだから
言語もほとんど一緒で会えば話が通じるんやって。
いかに国境なんてものが後で勝手に作り上げられたものかがわかる。
すごいよなぁ。ルーツって。
そうそう、日本人の太古のルーツはインディアンやった。っていう説もあるらしい。
私たちは、その言葉も、その記憶さえも失くしてしまったけど。
それをまだこうして守り抜いているこの人達を
尊敬の念を込めて、こう呼びたい。
ビバ!!『Minority People』
次に行こうとしてたバクハという村の出身で次の休みには帰るっていうから、一緒に村まで連れて行ってもらうことになった。バス乗ってる間に話してるうちに、コイの家でしばらくお世話になることに。
コイから家においで!!って誘ってくれたものの、
「私の家は畑と、豚の小屋と、馬の小屋と、牛の小屋と、鶏の小屋と、ウサギの小屋しかないけれど。それでもいい??」「一度見て、いやなら街の宿に泊まってもいいからね?」と、不安そう。
ある程度、修羅場(?)をくぐってきた私は自信たっぷりに
「大丈夫。」と答える。笑。
コイの村はバクハの町から5km手前の山手を少し登ったところにあった。
インドでおとんと旅したときに、5分くらい山を下ったところにようやく宿があったことを思い出したけど、今度は逆。家まで10分の登り。
お父さんと、お母さんと、お兄さんと弟の五人暮らし。後のお姉さん二人は離れたところの学校の寮で暮らしてるらしい。
コイの家は、確かに畑と豚の小屋と、馬の小屋と、牛の小屋と、鶏の小屋と、ウサギの小屋しかなかったけど、静かで、やさしくて、すごく居心地のいい家やった。
ご飯の時間が近づくと、家の裏にある畑や山に行って食べたい食材を食べたい量だけとってくる。枝豆、芋のつる、かぼちゃの茎と葉と花、キャベツ、ミントの葉・・・
どの部分がおいしくて、どうやって調理をするのか、コイが教えてくれた。
左がコイ。実をはさんで顔にくっつけるだけの、くだらん遊び。(爆)
こんなくだらん遊び、今の日本の子供は知らんにゃろうなー。
戦時中に芋のつるとか食べてたことがあったって聞いたことはあったけど、かぼちゃの花や茎や葉っぱが食べられるとは知らなんだ。『お金がなくなっても生きていけそう・・・。』ってシミジミ思った。
夜はコイのお兄ちゃんが、庭で走り回ってる鶏を目の前で一羽しめて、料理してくれた。
湯がいて、紫蘇の葉をきざんで塩ともみこんだだけのシンプルなもの。紫蘇の香りが日本の味を急に恋しくさせる。
「紫蘇といえば。。。」持ってた紫蘇のゆかりとふりかけを出してきてみんなに勧める。くんくんにおいをかいだり、ぺロッとなめてみたり。弟は気に入ったみたいでご飯にたくさんかけ始めた。笑
コイ以外は英語が話せないから、他の人とは完全ジェスチャー。
コイのお母さん。
フラワー・モン族のマーケットへ行ったり、豚のえさになる、とうもろこしの実を何百本も手でほぐしたり
それをうすでひいたり。毎日お手伝いがおもしろい。
マーケットに行く前のオシャレチェック。
売られていく子ブタちゃん。
私がもち米が好きだと知ったら早速お母さんが前の日から一晩水に漬け込んで炊いてくれた。
植物で色をつけた紅白ごはん!!おいしかった!!
お世話になったお礼に。。。と少しのお金を渡そうとしたけど
頑としてお母さんは受け取ってくれなかった。
だからマーケットで大根とブタ肉をを買い込んで、しょうがとかつおだしと醤油で
くつくつ二時間ほど煮込んだ料理をお礼に作ったら
「ちょっとしょっぱいけど、すごくおいしい!!」とみんな喜んでくれた。
よかった!!
村を出る私に、もう一度蒸しなおしたもち米をうらに生えてたバナナの葉で包んで
持たせてくれたお母さん。
話した言葉は少なかったけど愛情はたっぷり感じたわ。
ありがとう。
お世話になりました!!
3日遅れで、道であった(説明省略w)人達に祝ってもらった。
いろんな国の言葉で『ハッピーバースデイ☆』をもらったら
妹にも言われた「三十路へのカウントダウン」もふっとんだ。笑
生まれてきたことに「おめでとう」っていわれるなら
やっぱり何歳になってもきっと私はうれしいと思う。
・・・ハズ。
散々食べて飲んで、ベトナム人引いて、割り算したのに
1人たった70000D(約350円)!!
キャーーーー!!!
日本からも「おめでとう」の言葉をくれた人たち&My Family。
いつも励まされてるよ。ほんとうに、心からありがとう。
]]>雲南省は中国の一番南側にある。民族衣装もちらほら。
そして私のテンションもじわじわとヒートアップ。
おばちゃんたちはぺー族の人。
アタマの冠みたいなのが特徴。
ここではもっぱら川魚。
市場でものんびり。
鳥の足の和え物。
ところ変われば市場も変わる。
パワフルで、みんな生きてるーーー!!って感じがする。
だから私は、市場大好きねんなー。
]]>久々の北京に戻ってきて。今回の目的は・・・
私のかわいい妹分、ナミミに会うこと!!&疲れを癒す!!
某、有料チャンネル、ス〇パーの営業バイトで知り合ったナミミは
今は北京の大学で日本語教師をしてる。
北京語を操って、中国で生活するその姿はかっこいい。
ちょうど夏休み中ってこともあり、久しぶりにゆっくり話ができた。
パリッとした真っ白いシーツなんて、もう久しぶりで。
モンゴルのホコリを全部落として完全リラックスモード。
京劇を見につれていってもらったり、買い物したり。
眠ってる間以外は、ずーーーーーっと話してた。笑
有名店“全衆徳”
皮はパリパリ。肉汁じゅわわぁ〜。
『あなたのは、このお店で1億1千590万1028匹めの北京ダックよ。』
みたいな証拠のカードをくれる。
京劇のメイクアップシーン。
ジャ〇ーズ顔負けの、ばく転も見れた。
ほんまに楽しかったね。
お世話になりました。
ありがとう。
]]>
素敵なくらいガチガチショックのロシアンジープ。
合わせたわけじゃないんやけど。みんなCMみたいにカラフルシャツやろ。www
ウランバートルから1時間くらいはアスファルトの道やけど
それ以外はほとんどただいま製作中。
うねうねと曲がりくねって、もうイヤっ!!ってくらいぼこぼこの道で
車の中はずーっと誰かにシェイクされてる感じ。
うたた寝するとイスから落ちそうになるか、舌かみそうになる。
ポーランドから来たマルチンは、初日ずっとグロッキー入ってろくに食べ物口にしてなかったし。
9日後、久しぶりにアスファルト見たときみんな発狂したみたいに叫んでたもんな。笑
みなさん、モンゴルの旅は道が出来上がった2年後くらいがお勧めです☆
ご飯は大草原で。
コンロでパスタゆでたり、時にはローカルレストランに入ったりー。
夜には満天の星空やった。
天の川もばっちり。
その国境で中国用車輪からモンゴル・ロシア用車輪に付け替える所要時間3時間弱、
(最初これ聞いたとき本気で笑ったし!!)
モンゴル国境ザミンウードから首都のウランバートルまでが12時間。
まる一日かけての移動がはじまった。
私の本格的な一人旅もここからねー。
ベットは二段式の四人部屋コパートメントで1190元(約16660円)。
バスが確実に安いことは分かってたけど
“車輪を付け替える"っていうのにソソられて、大奮発。笑
中国戻りは確実バスやね。(´Å`)ハァ。
かなり古い電車を想像してたけどなかなかキレイで快適そう。
このおばちゃん、制服きてるの最初だけ。
あとはパジャマみたいな格好で対応してくれた。顔はこのまま。無愛想。
でもめっちゃやさしい。
私は女の子とそのお母さんの3人でひとつの部屋。
次の国へ向かう前の大移動のお決まり、語学勉強。
今回の先生は相部屋のソフタちゃん。
でもこの先生、前歯3本しかないねんな・・・。
空気がもれて発音がよくわかりません。せんせい。
久しぶりに見た地平線に沈む夕日は、息するの忘れるくらいきれいやった。
日時:12月29日(月)午後3時潤オ
場所:駐大阪・神戸アメリカ総領事館前+JR大阪駅前
12月27日、イスラエル軍は、ガザ地区に大規模な空爆を行い、多くの一般市民を含む200人以上のパレスチナ人を殺害し、さらにそれ以上の負傷者を出しました。
今回の虐殺の舞台となったガザ地区は、41年間にわたるイスラエルによる軍事占領によって住民の権利と尊厳が奪われ続けている地域であり、また、1年以上にわたる封鎖政策によって厳しい人道的危機に直面させられ続けている地域であります。そして、ガザ地区は、もっともイスラエルに対する抵抗運動のもっとも盛んな地域の一つでもあります。今回の攻撃は、パレスチナ人の抵抗運動を徹底的に壊滅し、ガザ地区を統治するハマース政権を潰そうというイスラエルの意思表示といえるものです。
以上の認識にもとづき、私たちは、パレスチナ人たちの置かれている非人道的状況を座視することのできない一市民として、今回の虐殺の犠牲者に深く哀悼の意を表すと同時に、下記の通り、緊急抗議行動を行います。年の瀬の時期ではありますが、一部参加でも構いませんので、一人でも多くの方のご参集をよろしくお願いいたします。適当にプラカードとか作ってきてくれれば、さらにありがたいです。
日時:12月29日(月)午後3時潤オ
場所:駐大阪・神戸アメリカ総領事館前+JR大阪駅前
行動予定
アメリカ領事館に対して、イスラエルへの軍事支援と「中東和平」への偏った介入の中止などを訴えます。抗議声明文の提出後、大阪駅前(南口前、フロートコート下あたり)に移動、4時から5時ぐらいまでビラ撒き行動を行います。
連絡先:パレスチナの平和を考える会
palestine.forum@gmail.com
マチュピチュの帰りに、節約しようとバスで帰ったら
『むさしの幼稚園』バスだった・・・と書いた。
それを見た父上が、探偵ナ〇トスクープ張りに日本のどこの幼稚園なのか探してくれた。
その話がインドで父上に会ったときに出て、日本に帰った父上は手紙つきで写真まで
その『むさしの幼稚園』に送ったらしい。笑
そのお返事がコレ ↓ ↓ ↓
前略 ごめん下さいませ
先日お電話でわざわざうれしいニュースをお知らせいただき
ました事に大変感謝いたしておりましたのに、本日ご丁寧にお写真とお便りまでお送りくださいまして
本当にありがとうございました。
地球温暖化、環境破壊等多々の憂慮せねばならない世にあって日本故の法律上の規制により、まだまだ元気なバスを廃車せざるを得ませんことに心苦しさの残る一つの出来事でした。
海外でこの様に使用され、そしてそれを目にされた貴方様がこんなに関心を持ってお知らせくださいました事に只々頭の下がる思いでいっぱいでございます。
豊橋の石巻山(360m)の麓で自然の四季を大切に感じながら子どもたちと元気にあそばせてもらっている幼稚園です。 物を大切大切と言葉の上で発してしまいます私ですが、今回の事は子どもたちにも伝えみんなで考えたいと想いました。
撮影くださいました お嬢様にもありがとうございましたとお伝え下さい。御礼申し上げます。
むさしの幼稚園長 桜井 多美子
なんかホンワリ暖かくなった。(´Å`)
ヤクの毛から作った大ぶり目のストール。
500ルピー。(約1250円)
街中の床屋さん。
20ルピー。(約50円)
通りがかりの耳かき屋さん。
50ルピー。(約125円)
親子二人旅。
ぷらいすれす。
ゆっりゆっくり、道の脇に生えた植物の写真撮ったり、昼寝したりしながら。
昼寝休憩。
優に五時間かけて、ようやくトリウンドポイントについた。
絶景レストラン。笑
サンセット。
ごはんまでの時間、することもないから二人で布団にもぐりこんで話をした。
今までの旅の話、日本状勢、これから私のしたいこと、家族のこと、お父さんの仕事の話。
そういえば今までお父さんの仕事の話なんて聞いたこともなかったな・・・。
いっぱいいっぱいいろんな話をした。
さすがに夜は冷え込んだ。
焚き火を前に、ラーメンとカレーを半分こずつ食べて
ジンジャーハニーティーには、たっぷりウィスキーを入れてもらった。笑
空には落ちてきそうなくらいの満天の星空。
天の川もはっきり見える。
「こんなにたくさん、星がまだ見えたんやなぁ。。。。」
お父さんがボソっていった。
山登り、あんまり好きじゃなかったけど
登ってよかった。
でも今はまだ不安定な状態で、パーミッション(許可証)やら、ガイド料やら
いろいろ計算すると、とんでもない金額になることが判明。
それで次に選んだのが、あのダライ=ラマ法王が亡命した地、インドのダラムシャーラというところ。
亡命したダライ=ラマを追ってたくさんのチベット人がこの地に住み着いたため、インドであってチベ
ットのようでもあるそんなフシギな町。いつの日か平和の訪れたチベットに帰ることを夢見てみんな
細々と生活している。
デリーから電車で約8時間。パタンコートからバスに乗って山を登ることまた三時間。
ようやくダラムシャーラについた。
タイミングのありがたいことに、その日はダライ=ラマ法王が病院から村へ戻ってくる日だった。
体調が優れなかったので療養されていたらしい。
村に続く山道は早くから沿道に旗がはためいてチベットの旗をもったチベタンが一目、法王にお会い
したいと正装して待ち構えていた。
宿探しも後に回して、道の脇に荷物をほったらかして一緒に並ぶ。笑
何百人ものチベタンが(たぶん村のチベタン全員)所狭しと並ぶ姿を見て
こんなに慈しまれて愛されている指導者を実際に見たことがないなーと思った。
優に2時間ほど待ってようやく車が通った。
ほんの一瞬。にこっとやさしく微笑むダライ=ラマさま!!
あちこちからみんなの感嘆のため息が聞こえる。
一緒になってホォォォォとため息。
感動してたら写真撮る暇なんてなかったよ・・・。
]]>せっかくお父さんが世界遺産もりもりのインドに来たんだから一つくらい・・・
ということで、早起きして朝のタージへ。
入ってすぐどどーーーんと静かにそびえるタージマハル。
想像していたより迫力があるわ。
白大理石を全面に使っているというだけあって、ほんわりやわらかい象牙色がなんともまた美しい。
お決まり(らしいよ)のポーズでハイっチーズ!!!笑
外装から、内装まで素晴らしい細工。
作り上げるのに22年も歳月がかかったらしいわ。
・・・愛・・・ね。
タージマハルの横でゆったり流れるヤムナー川。
インドの喧騒とはまったくかけ離れたゆっくりした時間でした。
]]>一生の中でも貴重な誕生日になったと思う。
遠い場所からオメデトウの言葉をくださった皆様。
あなた達のおかげで私はがんばってます。
『生まれた日』に見た夕日は、フシギな空やった。
今、この瞬間。
この場所にいられることに・・・・・・・感謝。
旅サイコーーーーーー!!!!!
I LOVE えぶりばでぃ。